(お父さん) 「代理さん」って誰よ

(2011年7月13日にGoogle+に書いてるのを発掘してしまったので再掲)

お父さんです。
よく、隣の人の電話を取った時に「代理です」って出る人いますが、
うちの会社に「代理さん」という人はいません。
「はい、代理でお受けしました、白尾です」くらい言えないもんかと。
お父さんは「代理です」と言われたら「誰ですか?」と必ず聞いてます。
相手が誰かわらかないで電話するの、いやぢゃない?
自分がイヤなことは他人にしないようにしないと。
複数の会社で体験したので、多分、珍しい話しではないと思って。

というわけで、「代理です」撲滅運動を実施中です。
直接言いづらい場合はこのページのリンクをメールで送りつけて
摩擦緩和にご利用頂ければと。(余計イヤミか?w)

みなさん、よろしく。

(お父さん) 浴室換気扇交換

父の日だからこそ、お父さんらしいことを、ということで浴室の換気扇交換。
どうせ雨だし。あ、だから、blogも長いよw

もう、数年前から軸受けのグリス切れらしく、ゴウゴウ音がしてたけど、
見てみぬフリをしてた。先日、野毛でホルモン食べながらさーたん
ポロっとそんな話したら、「倉庫にいっこ転がってたと思うから、サイズ
合ってたらあげんよー」と神のようなお申し出を頂き、即日デリバリーされ、
嫁さんが驚くなど。

いや、過去に2回ほどグリスアップしようと思って外そうとしたんだけど、
どうにも外れず、プロに頼もうかなぁ、と思い始めてた頃だった。

というわけで、今回は初めて脚立まで入れて作業開始。
カバーをはずし、本体ユニットを留めていたモクネジを外し、ちょっとだけ
抜けてくるんだが、前回はここまででどうにもならずに、あきらめてた。
換気扇はずれない

今回も心が折れそうになりながら、このパズルに取り組む。
しかし、外れてくる気がしない。ふと、もらった新しい換気扇を観察してみると、
ダクトと繋がってる部分が外れるようになってることを発見。
もしやと思ってレバー探したら、まんまと外れた。
(このタイミングで佐竹さんへ報告メッセージ)
換気扇外れた

次の問題は配線。この形状みたら、コネクター必要と思うよね、フツー。
換気扇新品形状

というわけで、新しい方のユニットを抱えて、いつものロイヤルホームセンターへ。
店員さんに「これに適合するコネクターありますか?」と聞いてみたら、
「お客さん、これ、コネクタいらなくて、そのまま挿すタイプですよ」と教えてくれた。
なるほど。確かに設備系の家電ってそのまま挿すタイプ多かったよな、と
後から気がついた。ついでにダクト用のアルミテープも購入。
いつもありがとうございます。
案の定というか、ご指摘の通りコネクタ不要で簡単に配線終了。
換気扇コネクターいらなかった

穴位置が違ってたので、一応ドリルで誘導穴を開けておく。
換気扇ドリル

というわけで完成。音が静かになってうれしい。
換気扇完成

ちなみに横浜市では、この手のごみは「もやすごみの日」に出していい。
プリンターも捨ててもいいんだぜ。横浜市の懐の深さか(違
換気扇捨てる

とはいえずっと上向いて作業してたので、あちこち痛くなってきた。

(時事) 昔、病気をしてたこと

抗がん剤をdisる記事を発見したので、がまんできず、storys.jpから転載。

1991年3月27日、この日、オレ、とある手術を受けてた。
生体検査のため、患部(左側臀部)の一部を切除する手術。
同日、元嫁(当時カノジョ)のお父さんが急逝。
それ以来、元嫁の親族は「あんたを助けるために代わりにお父さんがっ」と皆言う。しかし、数日後、検査の結果、悪性腫瘍であることが判明。
一週間後の1991年4月3日、でかい手術を受けた。
一度でも手術(検査)をすると悪性腫瘍の進行は一気に早まるので、判明する前から手術は予定されていた。良性か悪性かで違うことは切り取る範囲。
悪性だった臀部の患部を大きく切除し、そのままでは歩けなくなるので、左の腹筋を臀部へ移植、そして皮膚は左胸部の皮膚を移植。
なので、腹筋は今でも右半分しかないのよ。 鍛えても3パックまでw
筋肉は一本一本は太くなるけど数は増えない。

サイショに行った病院では、「白尾さん、左足はあまり自由にならないかもしれません」と言われた時に「歩けますか?」の前に
「先生、オレ、クラッチ踏めますか?」って聞いた。
「車椅子になるかも、って宣告した人にクラッチの相談されたの初めてです」って先生も言ってた。とはいえ、車椅子は大変だよな、ってことで、専門の病院を紹介してもらって転院した。それが癌研究所病院(当時は大塚。今は有明に移転)。

退院して、その後1991年5月~12月にかけて抗癌剤の投与。
最初の投薬の1週間後の1991年のGWのある日、頭髪が抜け始めた。
頭髪が一番目立つけど、他の毛も抜ける。もう、少年のよう*^o^*
当時の抗癌剤は今と違って、とにかく強力。悪いものを叩くためにはいい細胞もどんどん叩く。副作用としての、ものすごい吐き気と倦怠感。どういう強さにしたら、どこまで効くのかという研究段階だったクスリも投与してもらった。当然、誓約書にサインしてね。強いクスリだったので、成人男性でも6回しか投与できないものだった。

「東京タワー ボクとオカンとときどきオトン」の樹木希林さんの迫真の演技を観たとき、20年経っても口の中に抗癌剤の匂いが蘇って吐いたりするほど。自分と同じ当時の抗癌剤の投与を受け、子孫をなした例は日本でも1例だけらしく、うちの娘の笑顔はどこぞの学会でも紹介されているらしい。この前後、実家の両親や弟、そして元嫁(当時カノジョ)をはじめ、親戚友人知人各位には多大なる心配をかけたわけだが、20年以上たった今日現在、なんとか生きてる。
5年後の生存率は40%と宣言されていたわけだが。ごめんなさい。ありがとう。
当時、癌研究所病院に入院中に発生した伝説のお見舞い事件。

G:「おう、シラオ、元気か?」
S:「元気ぢゃねーから入院してるんだってば」
G:「そうだよな。ところで、周りの人、みんな癌なの?」
S:「しーーーーーーっ」

そんなわけで、桜が咲く頃はいつも当時のことを思いだし、元嫁(当時カノジョ(しつこい))、実家の両親、弟、当時の会社の同期の仲間、そして、親戚、友人、知人に感謝の念を表明してる。今日まで元気で来れたのは、周りの人達に支えられ、心安らかにそして、笑顔で来れたから、と思い、本当に感謝してる。毎年、胸部のCTスキヤンを撮り続け、肺を含めた他部位への転移がないかチェックをしているが、ツライ闘病というよりも、前向きにポジティブに、笑ってやってきたことが、悪性腫瘍を封じ込める最大のクスリであると信じてる。

∴癌は治る。
(2008年4月にmixiに書いた日記を加筆修正)
(2018年 嫁さん→元嫁に修正)