(時事)LGBT雑感

衆議院で話し合われている(のか?)法案をチラ見する。
総じて当たり前というか、個人的に反論のないことが書かれてはいる。最後の法案提出の「理由」はこんな感じだ。

全ての国民が相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する豊かで活力ある社会の実現に資するため、性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する基本的な事項、行政機関等及び事業者における性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等のための措置等を定める必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。

いや、いいんだ、間違ってない。しかしなんだかモヤモヤする。
LGBTの人は物凄く差別されていて、そういう差別を受けている人でも等しく権限があることを確認しましょうみたいな全体のトーンが垣間見えてしまうからかもしれない。差別があること前提なところが気にいらない。
どんな個性があろうとも、学校行ったり仕事したりすることの制限になってはいけないし、好きな人をパートナーとして生涯の伴侶とすることも何不自由なくできないといけないということ。これらの権利は元々存在していて、その行使において誰もそれを妨害してはいけないということでしかないはずだ。
これを、「差別対象になっているグループだけど、みんなでそこに目をつぶって、元々権利がない人に権利を与えてあげましょう」みたいなトーンになってることがおかしいわけでしょ。
総理大臣からしてそれらの権利を許すと「社会が変わって『しまう』」とまで言うほど脳みそが不自由だし、その秘書官もさらに最低の認識を漏らしてしまうほどのヒドイ有り様だ。そして、「LGBTの人」を集めて謝罪するとか、頭おかしいとしか思えない。当然の権利を保有する普通の人にわざわざレッテル貼っておいて、勝手に差別したあげく謝ってやるから来いって言ったんでしょ。法案の提出の「理由」に沿った行動がこの謝罪だとしたら、根本がわかってない。
100歩譲って、どう感じるかは自由だ。LGBTの人のことをどう思うかは個人の自由だ。
しかし、立場のある人は普通の人以上に口にしてはいけないことがあることを認識しないといけない。

どうしても口に出さないと気が済まない人はこの演説を100回観てちゃんと理解すべきだ。

当たり前のことが当たり前に成されるための法律の成立がうまく進まないなんて、どれだけダメなことなのか、恥ずかしいことなのか。
いろいろゾワゾワする。

(IT) 3回目接種を受けたら接種証明アプリで更新を

デジタル庁謹製アプリで証明書を入手している人は3回目を受けたら自分で更新が必要よ、って話。

年が明けてからの感染が収まらないこともあり、3回目のワクチン接種が積極的に進み始めたようだ。
東京都も前倒しで実施を始めたらしく、2月4日(金)から65歳以下の予約も始まった。2回目の摂取が7月だったので、すでに6ヶ月が経過しており、もう3回目を打っていいタイミングだったこともあって予約サイトへアクセス。ファイザー人気で、ファイザーで予約を取ろうと思ったら3月以降だけど、モデルナだと翌日から取れるので、迷わず予約。ブランドを選んで遅くなるよりも早期接種の方がリスクが低いといろんな人が言っているので、それを信じて。
1回目2回目ともにモデルナだったので、3連続モデルナは最弱なのは承知の上。

モデルナ3連発はファイザー-ファイザー-モデルナの3分の1と読むではなく、2回接種の10倍効果があると読めばリスクが下がるのが明白。
というわけで6日(日)に新宿区役所にて3回目を接種してきた。

何時間後に熱が何度で、どこが痛いとか気分がどうとかは、いくらでも書いてる人がいるので、それはそんな人に任せるとして笑。
家に戻ってから摂取証明書アプリを確認したけど、表示は2回のまま。

即時反映はさすがに無理だろうとは思ってたけど、自動で反映されるかどうかをデジタル庁のサイトで調べたら、手動で更新とのこと。

アプリで再発行手順をやってみたけど、当日のタイミングでは更新されず。

翌朝、再度チャレンジしたら、3回摂取済の証明書がゲットできた。
業界で言うところの「夜間バッチ」でデータベースが同期されたらしい。

マイナンバーカードはいろいろ批判されているけど、今回のように、摂取するだけでデータベース側が自動で更新される仕組みが構築できていることはちょっと驚いたし、これは評価してあげていいと思う。カードの中に入っている電子証明書の更新とか運用面で改善すべきこともたくさんあるとは思うけど、だんだん便利になって欲しいし、何ならこういうあたりのお手伝いをしたいと思ってたりするので、スカウトお待ちしてます笑。

(時事) コロナ禍での親戚づきあいを考える

いろんな考えはあるだろうけど、会いたい気持ちと来てくれて嬉しい気持ちは優先してもいいかも、という話。
プライベートな情報を含む話題にて、ぼやかしてる表現が多くて分かりづらい点が多いことは事前にお詫びさせて頂くとして。
両親ともに石川県金沢市出身なので、オレの親戚は金沢に集中している。

その中で母の妹(叔母)の体調が悪いとの情報をキャッチ。今日明日死んじゃうわけじゃないけど、余命を短くする可能性が高いとのこと。
そういう時に、都会にいる親族連中は「行くな」しか言わない。来られた方は迷惑だろうし、どこに泊まる?とか、ご飯どうする?とかで面倒くさい話がちょいちょいあるわけで。まあ、それはそれで間違ってはいないかもしれない。というか、お互い気をつかうわなあ。昭和の頃からの親戚つきあいってそんなもんかもしれない。でも行ってきた。アポなし。まあ、新幹線で3時間弱だし、果てしなく遠い距離ではない。目的の人に会えなくても金沢でうまいもん食えばいいしな、的な感覚にて。
従兄弟仲間でLINEグループ作って事前の根回しとか、ちょっとしたサプライズ企画もしたし、便利なツールを活用したわな。
結果的には会いたかった人には会えたし、多分、喜んでもらったとは思う。
実際に同じ場所にいて言葉を交わすことの重要性は、ネットミーティングがスタンダードになった今でも変わってないし、逆に重要というか大切だとも思う。
でもね、いくらコロナ禍だからっていって、今会っておかないと、葬式の写真の中でしか会えなくなる人に対してどう付き合うかってだれか正解持ってるのかしら。
誰とも会わず、濃厚接触をせず、家族や親戚とも会わずに命を永らえることと、お互いに歳を重ねた親族と会って、万が一何かに感染して治療を受ける必要が出てくることのメリットとリスクをトレードオフした時にどっちがハッピーか?という問題には答えはないのかもしれない。なんとか株だからどう、とか、みんな本当に理解して対応してんの?と思う。
当然、ショートステイに来る老人が県外からの来訪者と会っていたことによって施設でクラスターが発生するリスクがあるのは理解はしているつもり。
「リスクマネジメント」の観点から言えば、全てのリスクを排除することは、コスパの面で妥当性がないことは明らかで、ある程度のリスクは許容することによって、適切なリスクマネジメントがなされるということはロジックがあるわけだが、今のコロナに関するリスクマネジメントはあまりにもロジカルでないし、サイエンスがないと感じている。コロナ禍だからといってヒステリックになるのではなく、冷静にリスクマネジメントをした上でQOL(Quality Of Life)を考えることが全体の幸福量が増えるんじゃないかなあ。サイエンス不在はお互い様ってことで。
偉そうな事はこれくらいにしておいて、果たして今回お見舞いに行った年寄りは総じて喜んでくれていたように思うのは前述の通り。ついでに他の親戚にも会いに行ったけど、ガラス越しにしか対面できなかった人もいれば、15分以内に風通しのいい玄関だけでという人もいた。でもね、迷惑そうにされた感覚は1mmもなかった。当方が鈍感なだけかもしれないが。
コロナ禍になって、もともと存在していた意識や感覚の差が顕在化して、分断が進んだようにも感じている。しかし、許容される範囲の中で最大限の愛情表現をすることは決して批難されることではないと思った。いろんな制限があるかとは思うが、会いたい人には会いに行くことは悪いことじゃないと思った次第。反論はお伺いします。

<<<後日追記(2022.2.2)>>>
1月8日にサプライズ訪問して、比較的元気な様子で談笑し、1月25日にはお礼の手紙が従兄弟達に到着したばかりだったが、2月1日に叔母は急逝した。悲しいとか驚いたとかより、あの日行っておいてよかったというのが正直な感想。残ってる動画では本当にうれしそうにしてくれてる叔母ちゃんが笑ってるので、まだ、まったく実感ないけどな。
改めて、会わないことの安全さと残念さ、会うことの嬉しさとリスクのトレードオフだと思ったし、正解がない中なので、故人の考えを優先することも、誰も責められないと思った。叔母ちゃんの冥福を心から祈ってます。

(時事) 緊急度と重要度

なかなかいいネタがなくてblogの更新が滞りがちだったが、最近じんわり考えていることを書いておく。
もうね、自分に振られたタスクの重要度と緊急度を考えてプライオリティをつけろ、なんて話はいろんな本に書いてあるだろうし、いろんな研修で教わるからみんな頭ではわかってるんだろうけど、どうしても人間ってーのは緊急度の高いタスク(話題)に引っ張られて(注意が行ってしまって)、重要度が高いにもかかわらず放置されているタスク(話題)がどうしても多くなる。だから重要度の方を意識すべきだよねーということを学ぶチャンスはいくらでもあったはず。
しかし、多くの人々(オレも当然含まれる)はぼーっと生きてるので、緊急度の高いネタをクリアしたら、あとはぼーっとしてるだけだ。
喉元過ぎれば、なんとかの法則だ。
だけど、ある日、重要な問題が顕在化した時、それまでこなしてきた緊急度の高い問題と同じように小手先で解決しようとしてしまうが、当然解決などするわけもなく、キーーーーってなってる日本人のなんと多いことか。あ、日本人に限らないのか。
皇族の女性が結婚相手を決めるプロセスだったり、国会議員が経費としてもらうお金のことだったり、コロナに対する国の政策決定のプロセスだったり。
結果として、トンビが油揚げをさらっていくし、日割りだけど領収書不要みたいな100点満点でいえば2点みたいな改革(微修正)があったり、現場感のない3回目摂取が決まったりするだけ。
重要ではあったにもかかわらず、「まあ、明日困ることじゃないから」と言って放置されてきた物事の緊急度がちょっとあがっただけで急に騒ぎ始める。そしてどれもこれも「昨日今日始まったことじゃないから」って言って直せない理由をこじつけて、結局、重要なタスク(問題)が結果として放置され続けてる。どうなってるんだ、ニッポン。
みずほ銀行のシステム障害の問題は顕著だけど、これに相似した大企業のお粗末事案は身近にもたくさんあって、ため息をつくばかり。だから、自分ができる範囲で重要度の高いテーマへの注目と解決への着手はしようと思う。当然、皇族の問題にも国会議員の問題にも国策にも影響を与えられる行動はできないけれど、手が出せる重要度の高い課題は看過せず、目を向け、対応していなかいといけないと思う次第。あ、政治家にはならないよん笑。

(時事) 2020Tokyo オリンピックボランティアを辞退した。

開催まであと数週間というタイミングだが、ボランティアを辞退した。

理由を一言で言うと
何のためにやるのかわからないオリンピックのボランティアを何のためにやるかわからなくなったから

■オリンピックは何のためにやるのか
もう、全然わからない。じいさんがアベベだ東洋の魔女だを覚えてるからオリンピックやるの?とか思うわけで。そんなの意義でも何でもないでしょ。
安全とか安心とか感染防止とか言ってるけど、そこまでして何を成し遂げたいのか1mmもわからない。
選手と関係者の安心安全のための対策はごちゃごちゃやってるみたいけど、そのちょっとでも外側の人については自己責任に近い。
さらに言えば、それらの人びとの安全のために営業できなくなっている国内の飲食業や観光業は壊滅的な被害だ。直接的にはお店(飲食店ばかりではなくライブハウスとかもね)やホテル(旅館)自体の経営やそこで働く人、そして間接的にはその何倍もいるであろうそれらの業界の関連業界へも同様に壊滅的な打撃を与え、ウイルスで死ぬか貧困で死ぬかという選択に近いレベルと見聞きしている。
オリンピックの開催はそれらの業界の人だけでもなく、ほとんどの人々の安全と安心は無視されているように見えるし、生命の危機さえ感じる人も少なくないはずだ。まったく看過できない。
そんな犠牲の上で行われるオリンピックの意義がまったく説明されない。そのようなオリンピックの関係者となることはオレには無理だったということ。

■コロナ対策は自己責任
いや、ボランティア枠があってワクチンの先行接種あるでしょう、とたかをくくってたけど、まったくなし。6月11日から東京都の集団接種センターでもオリンピック関係者の接種も始まったっぽいけど、事務局から連絡がある人だけみたいだし。競技関係者だけっぽい。 住んでる自治体の集団接種や個別接種も含めて可能な限りの行動をしてみたが、開会までに2回目までを済ます手段はなかった。
選手は毎日PCR検査するかもしれないけど、ボランティアが運転するクルマに乗る皆さん(後述)は選手ほど厳密に管理されてないんだから当然リスク高いのに、クルマという密室の中で何時間も一緒に過ごす濃厚接触するのに、ワクチン接種してくれないとか、もうどんだけボランティアの奉仕精神に依存しているんだか。まあ、バカにしてるとまでは言わないけど、口で言ってるほどは尊重してないよね。当然、オリンピック開催にすら懐疑的な同居家族がそんな状態でボランティアすることに同意してくれるわけもなく。ずっと自粛してなんとかこれまで無事で来てるのに、ワクチン接種直前でそんなリスク高いボランティアしに行くとか、バカなの?しかも無給で?何の宗教?という感じになるのは、何の疑問もないし、どっちかというと正しい。

■そもそもの動機からはなんだか違う話なってるし
元々スポーツが好きでもなんでもない。時々ランニングはするけど、野球は観ないし、サッカーも代表戦をテレビで観るだけ。格闘技全般に興味はないし、ゴルフもしたことないし笑。でも、クルマの運転は好きだったので、ボランティアの募集項目の中に「運転」がとあるのを見つけ、それならこのイベントの「中の人」になってblogやSNSでのネタにできればいいかな、くらいの軽い気持ちでエントリーした。当然、選手を乗せるんだろうな、としか想像していなかった。パラリンピックの選手なら、クルマでの移動はきっと必須だよなーとか勝手に想像したりして。
何回かの研修に参加し、リモート研修もクリアして、先日のGW明けの集合研修でようやく明らかになったのは、「ボランティアの運転するクルマには、選手は乗らず、IOCの関係者か各国のオリンピック委員会の人しか乗らない」ということだ。
無駄にたくさん来るって話題になって人数をだいぶ減らしたらしいけど、それでも選手の数の数倍の数のゲストが来て、ボランティアの運転するクルマに乗ってホテルから競技会場へ移動する、ってことらしい。「何のためにやるかわからないオリンピックに何のために来てるのかよくわからない選手じゃない人」を乗せるために時間使ってエネルギー使って無給で運転するほどオリンピックを愛してないし。冷静になったらメリットがひとつもないことに気がついた。

■承認はしたものの、スケジュールは過酷
オリンピック・パラリンピックでのシフトのオファーが来たのはGW前。仕事のスケジュールと見比べながら土日を中心に入れて、平日は極力減らしたものの、早い日は朝6時に選手村集合、遅い日は24:30に選手村で開放みたいなシフト。ボラティアも選手村に前乗りさせてもらえないと間に合わない人もいるんじゃない?とか終電終わってますやん?とかツッコミどころ満載のシフト。当時はまだやる気もあったので、土日いれて週に3回〜6回のシフトを承認した。拘束時間は7〜8時間ほど。よく考えたら待ち時間中にリモートワークして補完したとしても、残った日数と時間ではまともな仕事はできないというか、仕事辞めなきゃいけないレベル。ボランティアへ応募した当初はスポーツ関連企業の正社員だったので、何とか対応できたかもしれないが、今の非正規雇用の状況では流石に厳しいことに気がついた(遅)。オレには無理。

■研修も行ったしユニフォームも預かったけどさ
集合研修は2回行った。最初は2019年2月の全体研修。よくある会社の研修みたいなチームワーク研修と希望のヒアリング。有楽町であった。
2回目は2019年10月はもうちょっと突っ込んだ内容の主に多様化に関する研修。これは代々木のオリンピックセンターであった。その後はコロナ禍が始まってしまってしばらく何もなくて、2021年5月に築地市場の跡地での実車研修があって、その後ユニフォームの貸与という流れ。それ以外にもE-Learningのコンテンツが毎月送られてきてたかな。どれは必須でどれが任意なのかとかがわかりづらくて、今でも必須のものをクリアしている自信がない。だった、英語版が必ず掲載されるから、原則半分は観なくていいコンテンツなんだから。ユニフォームは全部アシックス製。個人的にはポロシャツ3とかパンツ2ときて、ソックスが1というのがバランス悪いなあ、と思ったけど、もうすぐ返すからどうでもいいか。

■関係者の皆さんごめんなさい。
こんな開催直前に辞退することによって、多くの人にご迷惑がかかることは重々理解しています。上記のようなことは元々決まっていて、それを理解していなかったオレに責任があることは承知しております。大変申し訳ありません。ただ、コロナによって、オリンピックがただのお祭りではなく、何のために誰のためにやるイベントなのかということを考え直させられたということはあるかと思っているし、これまで「お祭りなんだからそのへんは言わないってことで(てへぺろ)」なんていうファジーな説得では安易に参加できないほどのリスクと感じている人がいる、ということはご理解賜りたく。
というわけで、オリンピックは家でテレビで観ることにする。