(Run) 10,000km到達

ナイキのアプリを使ってランニングを初めて1万キロ走ったらしい。
地球を4分の1周だ。生きてる間に4万キロ(地球1周)できるかな。

震災の年の秋、体重も80kgを超え、健康診断での指摘項目はなかったものの、どう考えても太いウエスト、動作の緩慢さに自らだいぶ危機感はあったわけで。ランニング初日は 5km先のパン屋さんへパンを買いに行くつもりだったが、店の手前でダウンして、クルマで回収しに来てもらうほどのヘタレだった。
その後も膝とか足の裏とか痛くなって、ウオーキングに切り替えたり休んだり。

タイと日本を行き来している時期が一番走ってて、月間200km走ってた時期もあったけど、最近は月間100kmいけば走った方、みたいな感じだった。

ただ、距離だけじゃなくて、最近は一緒に走る仲間がいることのシアワセを感じている。焼き鳥RunningClubという異業種交流のグループで宮ヶ瀬24時間リレーマラソンを走ったり、根岸森林公園をベースにしたTM-Clubに入れてもらって毎週一緒に練習したり、ちょいちょい飲みに行ったりして、ランニング仲間とのコミュニケーションを楽しませて頂いたりして。

多分、フルマラソンは一生4時間切れなさそうな気もするし、1km5分以下で走れる気も全然しないけど、これからも仲間と楽しむために走り続けようと思う。オレにとってランニングは目的ではなくて、あくまでも手段。目的は、アプリを使うこと、仲間と楽しむこと、blogに書くことw。

(お父さん) 「安全よりも取り締まりがだいじ」という神奈川県警

自宅の近くでパトカーやらスクーターやらで警察官が密集していたので、なにかと思ったら時間帯侵入禁止の待ち伏せ取り締まりだった。

場所は笹下釜利谷道路の「笹下台団地入り口」のT字の信号のある交差点。
標識にある通り、7時から9時までの間と15時から17時までの間はここを曲がって登っていってはいけない。理由はわかりやすくて、この坂道を登り切ったところに「森が丘幼稚園」という幼稚園があって、そこまでの間は歩道がない箇所もあり、道幅も狭いので、小さいこどもが幼稚園に行く時間帯と帰る時間帯は自動車の侵入を止めておくということ。安全に配慮した大変納得のいく規制と思う。

しかし相変わらず、交差点で停めるのではなく、登ってこさせておいて、上で御用にするという待ち伏せ取り締まりだ。こういう違反を未然に防ぐのではなく、違反させておいて捕まえるという取り締まりはしないことにしたと聞いたことがあるが、まったくそんな事はない。

そして、幼稚園、コロナで休みだけどなっ!

ようするに、普段は子供たちが帰る時間だけど、このクソ取り締まりをやってた日は幼稚園の子供たちはいない。
だから、目的は完全に取り締まりであって、子どもたちの安全ではないわけだ。
確かに近くには公園もあるから、子供がまったくいないわけではないのだが。

笹下釜利谷道路の交差点ではクルマがは登っていくのを物陰で見張る警察官がいたので、さすがに頭に来て「何隠れてんだ?標識の前に立って曲がっちゃダメって言えばいいだろうが。安全と取り締まりのどっちが大事なんだ?」と若い女性警察官に尋ねる(ええ、若干怒鳴ってました(告白))。

「取り締まりが大事です(キッパリ)」

と明言されてしまいカチンと来て

「神奈川県警は安全よりも取り締まりを優先するってことか!クソだな!」
「いや、安全も大事です、しかし、取り締まりも大事です」
ちょっとトーンが弱くなってきた。
「隠れないで歩道に出て曲がらせなきゃいいだろうが」
「歩道にいると歩行者の邪魔になるかもゴニョゴニョ」
だいぶゴニョゴニョしてきた。
「標識の前に入れば邪魔になるわけないじゃん、バカなの?神奈川県警」
と言い捨てて反対車線に停めてたクルマに戻ろうとしたら
「あ、運転手さん、横断歩道で渡ってください」と静止してきた。そこだけ強気かよ。
「人にルール守らせるなら、お前らもルール守れってんだ、クソ神奈川県警!」

50歳も超えて警察官とケンカするのは大人げないな、という自覚はあるが、こういう取り締まりは大嫌いだ。確かにここで取り締まりをすれば、そのうち違反車は減って、結果安全になるのかもしれないが、それは取り締まりのために違反をさせなくても、交差点で警察官が案内することで、十分周知されるし、警察官の存在は違反の抑止力にもなるはずだ。自分の立場が悪くなるようなことがあろうが、こういうクソ取り締まりを見たら今後も警察官に声をかけるようにする。

ちなみに、8年前にも同じく磯子工業高校の信号から森が丘交差点へ上がってくところのことでも同じような事書いてたw

(ネコ) ネコのいない世界なんて

自宅売却に向け、内見対応なども予測して、一緒に住んでいたシンガプーラ種のシュテファニー(和名:捨吉)を疎開に出した。離婚に伴い親権を渡した二人(ミランダさんとモモ)がいた頃は3人のニャンコと同居していて、2人が引き取られた後も、唯一親権を取得して同居していた捨吉が家にいなくなった。
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いなくなった喪失感というよりは、自分の生活習慣がいかにニャンコがいる前提だったのかを思い知り、それが寂しさを加速させていることに気がつく。
足元にやつがジャレついて来なかったり、ふと振り返ると目が合ったり、というコミュニケーションがオンデマンドで提供されないことに物凄いストレスを感じているわけで。

■ニャンコの通路の確保
和風建築の家屋のため、引き戸が多い。ニャンコが行き来できるように、引き戸はコブシひとつ分開けておく。空調の効率が悪かろうが、寒かろうが、暑かろうが開けておく、ニャンコのためだから。出かけるまえに、特定の部屋に閉じ込めないように居場所を確認し、導線を確認してから出かけるのだが、たまに隠れてる子がいると出かける前に手間を取られることもあった。

■ニャンコを通さない
キッチンやトイレなどニャンコが入ったらダメな部屋の出入り口はしっかり閉める。ベンガル種のミランダさんは軽めの引き戸は開けられたので、別途鍵をつけたりして通行を制限した。これは、以前、ニャンコがウオシュレットのスイッチをonにしてしまったことや、キッチンに置いてあったパンを食い散らかされたりという失敗に基づくルールだった。

■お風呂に水を
ゴハンの横に水も用意してあるんだが、ウチの子たちはお風呂の洗面器の水を飲むのが好きだったので、朝シャワーを浴びたあと、出る前に洗面器に水をため、入り口も少し開けてニャンコが通れるようにしておく必要があった。代わる代わる水を飲みにというか、水遊びをしにお風呂に入っていく姿をよく見かけていた。

■ふかふかの場所を用意
夏も冬もふかふかの場所でお昼寝するのがニャンコ。少なくとも一箇所以上はふかふかの場所を用意した。ニャンコ同士からまって寝てたりしてたから需要はあったんだと思う。

■脱走防止
うちの子たちは全員箱入りだった。一度も外に出していない。だから玄関の開け締めには神経をつかった。帰宅時に無防備に玄関を開けるとピューっと脱走しそうな子がいたので、まずはちょっと開けてニャンコがいないことを確認してから素早く入るということをしていた。

■一緒に寝る
誰かが布団に入れろとアピールしたら、何時だろうが隙間を開けて入れてあげなければいけない。そのアピールが「布団に入れろ」なのか「ゴハン出せ」なのか「起きて遊べ」なのかは慣れるとわかってくる。

このように、いかに四六時中ニャンコのために気を配っていたか、でも、それはまったくいやなことではなくて、抱っこさせてもらって幸せにしてもらえるためのご奉仕という意味ではまったく些細なことだ。そんなことを気にしなくていいことは幸せなことではまったくなくて、ほんとうに寂しいことということは、ニャンコがいなくなってから初めてわかった。はやくまた捨吉と一緒に寝たい。