(時事) 「推し」とは

久しぶりに小言じゃ。
最近、自分が大好きな対象を「推し」と称することが一般化してきたようだが、これにはもともと違和感があった。
「推し」とは「推薦する」「薦める(推める)」ものであって、大好き(お気に入り)とは違うもののはずだ。
よく行くラーメン屋さんがあって、個人的には塩豚骨ラーメンがお気に入り(favorite) ではあるものの、紹介を受けて初めてその店に行ってみようとしている友人にオススメする(recommned)のはもうちょっと一般的で食べやすい醤油豚骨だったばあい、「推し」は醤油豚骨であって、塩豚骨は「お気に入り」ではあるものの、決して「推し」ではないわけだ。まあ、「お気に入り」と「推し」が同一になる場合には、表現としては間違ってないのだが、マニアたるもの、たいていその2者は違って来るはずだ。
いくら旧いクルマが好きだからと行って、若い人に50年以上も前の自分の「お気に入り」をオススメするのははばかられるため、「推し」としてはもう少し新し目でエアコンがついているタイプをオススメすることが多くなったし。
そもそも自分の「お気に入り」を「推し」てしまったら競争率(何の?)が無駄にあがってしまって自分に不利益なることは考えないものなのか?あ、了見が狭すぎたかな。
「こちらが私の推しになります」とか聞いちゃうとゾワゾワして死んでしまいそうだわよ。