(時事) 震災の日のこと

5年前のあの日は、会社を休んでた。
午前中、昔の仲間がたくさんいる会社へ遊びに行ってた。

午後からは、知人とちょっとした仕事の相談をする予定だった。
池袋のちょっと先のファミレスで3時からの約束だったけど、
ちょっと早く着いてしまってコーヒー飲んでたら、その時が来た。

窓ガラスが割れるか、建物自体が倒壊するかも、くらい揺れた。
お会計はいいから店外へ避難を、とアナウンスがあった。
でも、相談あるし、彼は多分来るし、もうちょっと待ってよう、と思った。
近くの席の赤ちゃんと連れの若いママが本当に怖がっていて、
パニックになっていたので、黙って見てられなくなって、横に行った。
赤ちゃんをオレがだっこして、そのママの背中をさすって、「大丈夫ですよ、
大丈夫ですよ」って言ってた。泣きながらママはいろんな事言ってたけど、
ほとんどわからなかった。わかったことといえば、ダンナさんは出張中で
自宅は旧いから帰っても余震が心配だとママは泣いてた。
赤ちゃん抱いて、若いママさすってたら知人が来て「新しい家族ですか?」と
冷静に聞かれたけど、これは彼の芸風。
相談してる間に落ち着きを取り戻したママは帰った。
それから歩いて当時の勤務先の代官山の会社まで歩いて行ったんだった。

まぁ、100km以内なら歩いて行ける距離と思ってるんで、
苦ではなかったけど。
会社で安否確認をしたり、情報収集をしつつ、深夜になってから動き出した
東横線で帰った。横浜駅にはすごい人が夜を過ごすために座っていた光景は覚えている。
家族はたまたま自宅にいるタイミングだったのと、すぐに連絡がつき、無事が確認
できていたのが、気分的にもだいぶ安心があった

そして10日後、女川へ。

(2013年3月11日のFacebook書き込みから加筆修正)

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