(IT) ITエンジニアの最初の一歩

6月いっぱい人生初の「有給消化」で1ヶ月休んだけど、一瞬だった。そして、その間にこのblogサーバーのmysqldのバージョンアップに失敗して4月~6月のエントリーを失ってしまったこともあり、だいぶ間が空いてしまっている感じになってしまった。
もう、老い先短いので、ネタを選んで書くというよりはもっとフランクになんでも書いておこうと思ったので、日々の雑感を書いておく(以前にもそう思ったことがあったが、なかなか筆が進まないのだった)

妻が某公共機関で若者の就労支援の仕事をしていて、若者の相談にのり、面談へのアドバイスをして、採用が決まった場合は定着支援ということでフォローアップまでしている。

ただし、相談員はほぼ定年退職後の方々で、今のIT業界のことなんてまあわかってない人が面談して昭和のアドバイスをするみたいな図式になってしまうことは構造上しかたのないこととあきらめている。この構造がおかしいことは、今回論じない笑

先日、妻と話していて「ねえねえ、未経験でITエンジニアとして採用された子がね、研修ナシで現場に入れられて打ち合わせの議事録書かされてばっかりだから辞めちゃったらしいんだけど、これってどうなの?」と聞かれた。「他の相談員の先輩(実際の呼び方はもっとヒドイものだったが、ここではキレイに)はみんな、『それはおかしい、未経験採用したら最低半年は研修してもらわなくちゃねえ』という意見が大半で、彼(彼女だったかな?)の退職について大筋合意で、その会社はヒドイ、という結論だったらしい。

いやいやいやいや。

未経験者を採用して、プログラマーにするために研修するなんて、リスク高すぎて、今どき、どんなITの会社だってやるわけないでしょ笑
研修するとしたら、理系または情報系でITリテラシーのベースがあって、そこに自社のお客さんへ売り込めそうなスキルを追加するために数週間から数ヶ月の研修をすることが稀にある程度で、とりあえず現場にいれちゃうのはSIerとしては自然だよなあ、と思うわけよ。
そして、妻の職場の先輩方が判で押したようにいうのは「IT未経験はインフラ監視から」という鉄則。
今人間が24時間365日で監視しているシステムなんて、かなり減ってますよ、センパイ。
アラートが上がったら一次対応は自動だし、待機系に切り替わったりしてその場で人間が対応しないといけないシステムなんて設計が悪いだけよね。
ちょっと回り道したけど、未経験で入って日本語ができるなら、打ち合わせ議事録を書かせるのは全然いいことと思うわけよ。
理由1:そもそも打ち合わせの議事録を起こす案件(顧客)はスジがいいことが多い。必ずいいわけではないけどね。ただ、ブラックな案件(顧客)では議事録はまず存在しないので、最低条件はクリアしているように思う。
理由2:案件の全体像が早く理解できる。議事録を起こしながら質問をしたり、調べたりして何をするプロジェクトなのかの理解が進む。いきなり製造や監視やキッティングに突っ込まれて仕様書やら手順書やら見ているだけだと、ただのレンガ積みにしかならないが、議事録を書くとレンガを積んでる意味がわかってくるはず。当然、当人の意識にも依存するわけだが。
理由3:未経験の若手を一人で議事録担当で現場に入れるなんてことは考えづらくて、必ず現場に同じ所属会社の先輩がいるはずでフォローしてもらえるはず。
理由4:ステークホルダの関係性が見えてくる。これは若手には難しいかもしれないが、プロジェクト内の優先順位や意思決定のプロセスがわかるので、今後のプロジェクトマネジメントに関する知識が吸収できる

というわけで、「ITエンジニア=プログラマ」なんていう刷り込みを就労支援の現場から排除しないと、未経験若年層のIT業界へのチャレンジがうまくいかなくなると心配している、という話。

(お父さん) 学生時代のサークルのOB会

大学を卒業したのは1990年、バブルまっさかりの時代だった。
就活の時期には1学年100人ちょっとの数学科の壁に並んだ求人票は大手企業だけの募集人数を足しても学生数の10倍以上になったし、一番募集人数が多かったのは日本IBMの「∞」笑
厳しい就活を強いられたらしいバブル崩壊後の氷河期に就活をした皆さんには大変申し訳無い。
そんな時代にはまだ「IT」なんて洒落た名前も「パソコン」なんて呼び名もなかった。数学科出身者は学者になるか、教員になるか、保険会社のアクチュアリになるかしかなくて、コンピュータ関連のことがシゴトになるとはイメージできない時代だった。しかし、そんな時期でも大手メーカーはコンピューター事業に舵を切るためにたくさんの求人を出していたんだろう。そんな中でもコンピュータに興味がある学生達に、大学が準備した電子計算機を一般の学生に使わせるための部屋の管理を委託されていて、その学生達がサークルのような集まりを形成していた。「電算(でんさん)」と呼んでいた(正式名称は「電子計算機委員会」)。
一般の学生に使わせるという名目の部屋ではあったが、結局そのボランティアで管理をしているという言い訳の元、メンバーがサークルの部室のように使うようになるのは自明ではあるわな笑
この部屋にはVAX-11をはじめ、N5200、PC8001、PC8801、PC9801、FM-7、FM-8、PC/ATなどがあり、記録媒体は8インチ、5インチのフロッピイーディスクが主流だった。3.5インチは出始めの頃。ネットワークは存在せず、すべてがスタンドアロンだった。
今では博物館モノのコンピューターを使い放題だったのだから、純粋なスキモノにはたまらない空間だったはずだ。


Copilotが想像した電算室

実際の電算室

1990年以前に卒業した先輩方はどちらかというと純粋に数学とコンピューターが好きな方が多く、後輩の中にもそういう人もいたが、どちらかというとサークル的な活動をメインで楽しむ人も増えたように感じている。
そんなサークルの1990年卒業を中心として前後4~5年卒業のOBを集めたOB会を企画・開催した。同年代の皆さんはよくおわかりのことかと思うけど、還暦間近になると、シゴトについては定年が現実的に眼の前に見えて来て、大きく生活が変わる転換点になると、なんだか人々は若い頃の仲間に会いたくなるらしい。これなんて呼ぶんだろう、厨二病に対して還暦病?笑
そんな還暦病の集まりを企画し実現するための幹事チームのTipsを共有しておく。

(1)名簿作りは重要
今回、事前準備で苦労したのは声をかける母集団のリストとしての名簿の作成。卒業してスグのタイミングでは有志によって名簿の運用が行われていたが、20年以上更新が滞っている状態だった。メーリングリストも存在していたが、このリストについても更新が停まっていた。それらの名簿やリストも動員して最新の連絡先を検索したり、X(twitter)やfacebookで細々と個別に繋がっている人々から紹介してもらったり、実家に電凸したりして、かなりの数のメールアドレスが判明したが、調査はなかなか大変だった。先輩方は年賀状ネットワークから情報取得したとも聞いている。年賀状だいじ。しかし、結果として消息不明なメンバーもいた。
OB会をやるやらないにかかわらず、名簿管理については重要であることを理解した。
個人情報入力フォームへの入力を依頼し、各情報(メールアドレス、携帯番号、住所)の公開可否も入力してもらって、本人が公開を許可した情報のみを並べた名簿を作成して全員へ共有することとした。

(2)リーガロイヤル東京には「稲門会パッケージ」が存在している
大隈庭園の奥にあるリーガロイヤル東京は通路でカフェテリア(旧学食)と繋がっているだけあって、稲門会パッケージがある笑
特典は
・乾杯用スパークリングワインプレゼント(早稲田大学専用ラベル)
・校歌再生料無料

写真でグラスに引っ掛けてあるGlassMakerはこういう立食の宴会のときに自分のグラスがわからなくならないようにするツール。幹事チームのタカノブが3Dプリンタで全員分を作ってくれた。これもなかなか好評だった。
愛校心薄めなOBが多いサークルなので、歌詞はプロジェクタで投影したが、イントロが流れると全員の右手が上がったのを見て意外と愛校心あったか?と思ってしまったなど笑

(3)プロジェクタはレンタル
上記稲門会パッケージを使っても、会場でプロジェクタを借りると5万5千円。音響もちゃんとやってくれるという前提ではあるが、予算的にかなり厳しくなるので、レンタルすることにした(持ち込みOKなことは事前に確認した)。検索の結果利用したのは「プロジェクターレンタル屋さん」。120インチのスクリーンへ余裕で投影できる最新式のプロジェクタが4500円でレンタルできた。申込時には「長いHDMIケーブルのお申し込みを頂いておりませんが、皆さんお使いです。本当にこれ、ナシで大丈夫ですか?」と神対応をしてくれた。長めのケーブルは持っているので、お願いはしなかったが、いいサジェストだなと思った。当日午前必着でホテルへ送ってもらい、使い終わったら会場の近所のコンビニから宅急便で返送すればOK。
返送の手間だけ諦めれば90%以上のコスト削減を実現できるので、ホテルやイベント会場の機材が高いような場合は検討してみるといいと思った。オススメである。

(4)近況は事前に共有
参加予定者数が40人を超えてしまったので、順番に全員が自分の近況をマイクでしゃべることが時間的に不可能なので、近況というかそれまでの人生の軌跡(就職、結婚、子供、病気、事件、居住地など)と、今何してる?の2項目については事前にパワポのシートを全員に書いてもらって回収し、pdfにまとめて事前に配布した。これによって来場時には出席者全員の近況を大体把握しているところからスタートになるので、会話のきっかけが作りやすく歓談も最初からスムーズに始められたように思う。名簿作りと併せて幹事チームの負荷にはなるが、やっておいてよかった。そして、何人かは出して来なかったので、そういう人は強制的に当日マイクを渡して喋ってもらった。

ビジュアルがほとんど変わらない人、かなり変わった人などいろいろいたし、全然忘れてたエピソードを聞いたりして個人的にも大変楽しめた。参加してくれた先輩方や後輩達からも感謝のメールやメッセージをたくさんもらったりして、今回、このタイミングでOB会をやってみたのはとてもよかったと自画自賛している。

ちなみにCopilotが生成した電子計算機委員会のOB会の様子がこれ。

(Run) 神奈川マラソン(ハーフ)出走

先週もハーフマラソン走った気がするけど、あれは練習だったと思うことにした笑
神奈川マラソンは磯子を走るんだけど、3年前までは磯子区民だったし、所属のTMクラブの本拠地である根岸森林公園にも近いということ、4年ぶりに開催というもあり、普段は大会にほとんどエントリーしないんだけど、珍しくエントリーした、しかも2週連続で笑

家を出る頃は雨。磯子駅についても雨。会場で記念品のサラダ油のボトルをもらっても雨。そして寒い。TMのメンバーが集まって来たけどまだ降ってた。もうこのまま帰ろうかなと思ってたら、スタート30分前くらいに急に止んできた。しかたねえ、走るか笑。雨対策というよりは寒さ対策で使い捨て雨ガッパを着てスタート地点へ。それにしても寒い。脚を動かしてはいたものの、足先はすっかりかじかんでしまってスタート。しばらくはぎくしゃく走る。前回までとはコースが変わって今回は国道357号線をいったり来たり2周ちょっとするコース。スピードの取り締まりのメッカ、湾岸の下のバイパスがメインのコースだったので、まあ、雨が降ってたとしてもほとんど濡れなかっただろうし、風もないので、走りやすい。坂も高架へ上がるところと降りるところだけなんで、ほぼフラット。折返しとかゴール近くとか部分的に狭いところはあったけど、道幅が広くて他のランナーが気にならないが、道路の継ぎ目の隙間に脚を取られて捻挫しそうだったので、それ以降は継ぎ目は慎重に走ることにした。


難点はGPSをつかみづらいところ。難所はゴール直前。ああ、あのビルを曲がったらゴールか、というところを直進させられてもうちょっと行ってから折り返してやっとゴール。ゴールを横目に見て通り過ぎるのはなかなかキツイ。

前週は序盤、様子を見すぎてペースが上がらず無駄に疲れて最後脚がつってしまったので、今回は最初からペースを上げ気味に入っていけるところまで行こう作戦。まあまあのペースで最後まで走れたんだが、それを後押ししてくれたのが、仲間の暑苦しい熱い応援。


名前を呼んで応援されるとパワー出るよね、やっぱし。皆さん、本当にありがとうございました。

結果は1時間50分09秒(ネット)。目標だった110分切りには9秒及ばなかったけど、もう優勝でいいやと思ってたんだが、打ち上げで一緒だったTMの陽子さんに5秒負けたことが悔やまれる笑。5秒負けただけなら、まだいいんだが、前日の打ち上げ会場確認のLINEで「もうビールも飲んだし」と書かれていたことを勝手に根に持ってた。というのはこっちは3日前から禁酒して調整してからだ。ああ悔しい。
次回以降、もし大会に出るとしても禁酒なんてしないと誓ったんであった。
ゴール直前ですれ違ったはらぼーがゴールで待ってて声援してくつつ動画も撮ってくれてた。ありがとう。


(撮影&声援 by はらぼー)

(Run) 新宿シティハーフマラソン出走

1月28日に開催された第21回新宿シティマラソンに参加してきた。国立競技場スタート・ゴールで走り慣れた新宿区内を走るということでエントリー、新宿区民は無抽選で出場できる。ちなみに50代男子は1,700人も出るらしく、年代別では最多。おっさんたちは走るのが好きだなあ(ブーメラン笑)


国立競技場までは1kmちょっとしかないので、上着だけ羽織ってウォーミングアップしながら集合時間ギリギリを狙って移動。上着だけ預けて待機場所へ移動。楽しみにしてたのは関係車両入り口から入っていけること(そこか笑)

地下のヘアピンカーブを曲がってスタンド下の周回路へ。周回路はリレーマラソンで走ったことがあるので、初めてじゃない。

トラックに出てFブロックで待機。GARMINがGPSを拾わなくてヒヤヒヤしたけど、スタートラインを通過する直前に拾えたので計測はできた。競技場を出たら外苑をしばらくグネグネ走ったあとはKO病院の脇を抜けて外苑西通りから新宿御苑トンネルへ。このトンネルは普段自動車専用なのでランニングはできない箇所。数メートルおきにスタッフさんがいて声援を送ってくれる。トンネルを出たらUターンして靖国通りへ。そこからしばらくまっすぐ。家のすぐ近くを通るので「寒いから行かない」と宣言していた妻がサプライズで観に来てるかもと思ったが、気配なし笑
市ヶ谷駅手前で折り返して来た猫ひろしさんと「にゃー!」と挨拶してたら、最初のランナーストップ。市ヶ谷見附の交差点で歩行者横断のため、ランナーが待つというローカルルール。再スタートしたら今度は神楽坂下でもランナーストップ。最前列から再々スタートして空いてる神楽坂を爆登り。坂を下って飯田橋で再度靖国通りに戻って復路へ。このあたりから背中にもゼッケンをつけた人(陸連登録がある人)をペースメーカーにして割りといいペースでそのまま信濃町駅くらいまでついて行けたが、外苑に入ったら急に脚が攣り始めて大減速。立ち止まって伸ばしたりしてもう、ようやく走ってるレベル。へろへろでゴールしてタイムは116分くらい。ようやく2時間を切れた。もうちょっと速く走れる気がしてたけど、こんなもんなのかなあ。

前半抑えて走って後半がんばろうという作戦ではあったものの、がんばり切れなかった感じかな。まあ、これが実力なんだろう。記念品はタオルと小物入れ。Tシャツじゃないんかーい笑
歩いて帰ろうとしたら、コースを横断できなかったので、大江戸線の国立競技場前駅の階段を使ってコースを横断。信濃町駅前交番の信号ではもうランナーがいなかったので、普通に渡れた。家に帰って風呂につかり、数日ぶりのビールを飲んで午後のタスクに出かけた。


(お父さん) 「機構模型セット」当選

もうね、抽選なんて、まあ生まれてこのかた、当たったことなんてないわけよ。
東京マラソンなんかもう、15回は外れてる笑
そんな抽選運のないおっさんがX(twitter)でよくあるフォロー&RTで当たるよキャンペーンに何気なく応募。

もう応募したことも忘れた数日後、DMで当選のお知らせが!なんですとー!
住所などお送りしたらこれまた数日後にブツが到着。
シンプルだが、どのカラクリもそれぞれ個性があって、ずっと回してても全然飽きない。
作者の「からくりすと」鈴木さんのYoutube観るともって凝ったカラクリもたくさん作られているみたいけど、シンプルな今回の賞品もなかなか趣き深い。

しかしこのカップヌードル用タイマー(?)欲しすぎるな笑
というわけで、一心不乱に歯車を回す様子がこちら。癒やされてください。


いやー癒やされるわー。