(お父さん) 浴室換気扇交換

父の日だからこそ、お父さんらしいことを、ということで浴室の換気扇交換。
どうせ雨だし。あ、だから、blogも長いよw

もう、数年前から軸受けのグリス切れらしく、ゴウゴウ音がしてたけど、
見てみぬフリをしてた。先日、野毛でホルモン食べながらさーたん
ポロっとそんな話したら、「倉庫にいっこ転がってたと思うから、サイズ
合ってたらあげんよー」と神のようなお申し出を頂き、即日デリバリーされ、
嫁さんが驚くなど。

いや、過去に2回ほどグリスアップしようと思って外そうとしたんだけど、
どうにも外れず、プロに頼もうかなぁ、と思い始めてた頃だった。

というわけで、今回は初めて脚立まで入れて作業開始。
カバーをはずし、本体ユニットを留めていたモクネジを外し、ちょっとだけ
抜けてくるんだが、前回はここまででどうにもならずに、あきらめてた。
換気扇はずれない

今回も心が折れそうになりながら、このパズルに取り組む。
しかし、外れてくる気がしない。ふと、もらった新しい換気扇を観察してみると、
ダクトと繋がってる部分が外れるようになってることを発見。
もしやと思ってレバー探したら、まんまと外れた。
(このタイミングで佐竹さんへ報告メッセージ)
換気扇外れた

次の問題は配線。この形状みたら、コネクター必要と思うよね、フツー。
換気扇新品形状

というわけで、新しい方のユニットを抱えて、いつものロイヤルホームセンターへ。
店員さんに「これに適合するコネクターありますか?」と聞いてみたら、
「お客さん、これ、コネクタいらなくて、そのまま挿すタイプですよ」と教えてくれた。
なるほど。確かに設備系の家電ってそのまま挿すタイプ多かったよな、と
後から気がついた。ついでにダクト用のアルミテープも購入。
いつもありがとうございます。
案の定というか、ご指摘の通りコネクタ不要で簡単に配線終了。
換気扇コネクターいらなかった

穴位置が違ってたので、一応ドリルで誘導穴を開けておく。
換気扇ドリル

というわけで完成。音が静かになってうれしい。
換気扇完成

ちなみに横浜市では、この手のごみは「もやすごみの日」に出していい。
プリンターも捨ててもいいんだぜ。横浜市の懐の深さか(違
換気扇捨てる

とはいえずっと上向いて作業してたので、あちこち痛くなってきた。

(時事) 昔、病気をしてたこと

抗がん剤をdisる記事を発見したので、がまんできず、storys.jpから転載。

1991年3月27日、この日、オレ、とある手術を受けてた。
生体検査のため、患部(左側臀部)の一部を切除する手術。
同日、元嫁(当時カノジョ)のお父さんが急逝。
それ以来、元嫁の親族は「あんたを助けるために代わりにお父さんがっ」と皆言う。しかし、数日後、検査の結果、悪性腫瘍であることが判明。
一週間後の1991年4月3日、でかい手術を受けた。
一度でも手術(検査)をすると悪性腫瘍の進行は一気に早まるので、判明する前から手術は予定されていた。良性か悪性かで違うことは切り取る範囲。
悪性だった臀部の患部を大きく切除し、そのままでは歩けなくなるので、左の腹筋を臀部へ移植、そして皮膚は左胸部の皮膚を移植。
なので、腹筋は今でも右半分しかないのよ。 鍛えても3パックまでw
筋肉は一本一本は太くなるけど数は増えない。

サイショに行った病院では、「白尾さん、左足はあまり自由にならないかもしれません」と言われた時に「歩けますか?」の前に
「先生、オレ、クラッチ踏めますか?」って聞いた。
「車椅子になるかも、って宣告した人にクラッチの相談されたの初めてです」って先生も言ってた。とはいえ、車椅子は大変だよな、ってことで、専門の病院を紹介してもらって転院した。それが癌研究所病院(当時は大塚。今は有明に移転)。

退院して、その後1991年5月~12月にかけて抗癌剤の投与。
最初の投薬の1週間後の1991年のGWのある日、頭髪が抜け始めた。
頭髪が一番目立つけど、他の毛も抜ける。もう、少年のよう*^o^*
当時の抗癌剤は今と違って、とにかく強力。悪いものを叩くためにはいい細胞もどんどん叩く。副作用としての、ものすごい吐き気と倦怠感。どういう強さにしたら、どこまで効くのかという研究段階だったクスリも投与してもらった。当然、誓約書にサインしてね。強いクスリだったので、成人男性でも6回しか投与できないものだった。

「東京タワー ボクとオカンとときどきオトン」の樹木希林さんの迫真の演技を観たとき、20年経っても口の中に抗癌剤の匂いが蘇って吐いたりするほど。自分と同じ当時の抗癌剤の投与を受け、子孫をなした例は日本でも1例だけらしく、うちの娘の笑顔はどこぞの学会でも紹介されているらしい。この前後、実家の両親や弟、そして元嫁(当時カノジョ)をはじめ、親戚友人知人各位には多大なる心配をかけたわけだが、20年以上たった今日現在、なんとか生きてる。
5年後の生存率は40%と宣言されていたわけだが。ごめんなさい。ありがとう。
当時、癌研究所病院に入院中に発生した伝説のお見舞い事件。

G:「おう、シラオ、元気か?」
S:「元気ぢゃねーから入院してるんだってば」
G:「そうだよな。ところで、周りの人、みんな癌なの?」
S:「しーーーーーーっ」

そんなわけで、桜が咲く頃はいつも当時のことを思いだし、元嫁(当時カノジョ(しつこい))、実家の両親、弟、当時の会社の同期の仲間、そして、親戚、友人、知人に感謝の念を表明してる。今日まで元気で来れたのは、周りの人達に支えられ、心安らかにそして、笑顔で来れたから、と思い、本当に感謝してる。毎年、胸部のCTスキヤンを撮り続け、肺を含めた他部位への転移がないかチェックをしているが、ツライ闘病というよりも、前向きにポジティブに、笑ってやってきたことが、悪性腫瘍を封じ込める最大のクスリであると信じてる。

∴癌は治る。
(2008年4月にmixiに書いた日記を加筆修正)
(2018年 嫁さん→元嫁に修正)

(お父さん) 第53回100kmハイクへ参加

学生時代に2回。
20代で大きな病気をした後、30歳前後で2回。
自分が40代後半になって、第50回を記念してそれから3回。
多分、今回は7回目の参加だったが、その中でも一番早くゴールした。
閉会式の前に大隈公の銅像前に到着すると、すごいたくさんの若者が
ハイタッチで迎えてくれるのな。初めての体験だった。
「なんだよ、おっさん混じってるじゃん!」と非難された。
本当にごめんなさい(笑)

衰えて、途中リタイヤとかして、やめるよりも、最高の結果を出して引退しようと
考えていたので、今回は本当に最高で最後の100ハイになった。

介護が必要な家族がいる中、土日不在にするのは、他の家族に多大なる迷惑を
かけることになるのだが、100ハイだけは特別扱いしてくれる家族にまずは感謝。
そして、今回も一緒にエントリーしてくれたツレのけんちゃんにも同様に感謝。
(写真は二日目の朝)
100hai_ken

4区~5区を併歩してくれた茂や、けんちゃんのサポーター、そして早稲田精神昂揚会の
各位にも大変お世話になり、感謝をしている。

「どんなイベントなんですか?」とよく聞かれるので、簡単に書いておくと、
早稲田精神昂揚会というサークルの主催するバンカライベント。
走ったほうが楽な100kmをあえて歩く。あえて仮装する、あえて下駄で行くなど、
あえて苦しむ。そこに道があるから、的なイベント。
速く終えるとか、楽して終えるとかはまったく考えない。自分と戦うためのイベント。
(ただのバカともいう。バカ田大学だからな)

土曜の朝、埼玉県本庄市を出発して、日曜日の夕方早稲田に到着する。
総歩行距離100kmちょっと。
家から駅とか、駅から集合場所とか、ゴールから家とか混じってるけど、
124kmくらい歩いたらしい。バカだなぁ。
124km

そして、やっと今回の感想。
1区:いつも通り仮装の群れにまぎれる
2区;長い。そして今年は雨に悩まされた。雨合羽はセブンのが秀逸。
3区:例年つらかったが、今年はあまり休まずに終えた。長く仮眠できた。
4区:2日目。朝メシのタイミングの逃がし、この後きつくなった。
5区:睡魔。コンビニの位置の把握をしておらず、ペースダウン。
6区:いいペース。閉会式前にゴール。

というわけで、公式振り返り動画でも1分58秒あたりでちらりと。

杖ついても歩くばかなおっさんもいます、的な扱いかw

ちなみに、沿道のすべてのコンビには野戦病院になる。
image

そして、第3休憩所での仮眠はこんな感じ。
image

50歳の自分が、「スキあらば休もう」ではなく、「スキあればちょっとでも前に」と
思えてたことを実感して、すごくうれしく感じたイベントだった。

ちなみに、1988年の第一休憩所での写真を発掘してくれた。
えーっと、27年前かw 当時4年生らしい。オレ、タバコくわえてますなw
100hai_1988
突っ込みどころ多すぎで黙るしかないよな、こういうのw

(IT) ドコモからマツコへキャリア変更してみる

2年前に友人からの入れ知恵を総動員してちょっとだけ安く買ったドコモXperiaZ
月額1000円ちょっとで運用できていた契約だが、購入してから2年たって月々割が
適用されなくなって、月額4000円オーバーになったので、もとから計画していた
通り、これを解約して別キャリアへ行くことに。
月額1400円(通信900円+音声700円-割引200円)になるはず。

<ざっくり手順(MNPの例)>

  1. Day1、ドコモのMNP転出番号を「マイドコモ」で取得
  2. Day1、量販店でOCNモバイルONEのアクティベートコードの書かれた紙を購入
  3. Day1、申し込みページでOCNモバイルONEの登録
  4. Day5、SMSで作業開始のための回線停止のお知らせが来る
  5. Day7、佐川でSIMが届くので、APNなどを登録して開通。
  6. Day8、050plusを登録
  7. Day9、「Nで始まるお客様番号」が届くので、光とのセット割と050を無料化の設定

こんな手順やってられっか、というエントリーもあるくらい(笑)
シニア記者、スマホ勉強会で逆上す~MNOからMVNOにMNPするのだ!~
割引の設定が開通後、というのもわかりづらい一因かな。

<詳細>
2013年4月に契約したので、2015年5月1日~31日の間に解約すれば違約金が不要と
いうのもこのタイミングを選んだ理由。
スクリーンショット 2015-05-01 10.09.31

端末は買ってすぐにSIMフリー化してあって、ソフトバンクSIMでも動作すること
既に確認済みだったので、他のキャリアへ行くことにはまったく抵抗もなく。

今回移転先に選んだのは、NTT-Communicationsさんの「OCNモバイルONE
ってやつ。テレビでマツコさんがロボマツコになって浮いてるやつね。

自宅のネット回線がOCN光なので、セットにすれば月額200円オトクってことが
選択理由。割引の設定は後から。「OCN光モバイル割

5月1日の昼休み、会社の目の前のヨドバシカメラでアクティベートコードを購入。
アクティベートコード
定価3000円(税別)のパッケージが税込み1430円で買えた。なんでだw

サイトで必要になるので「マイドコモ」のページからMNP転出用の番号をゲット
しておいて、OCNの申し込みサイトで上記のアクティベートコードを入力して、
コースを選択。現状、一ヶ月で3GBくらいしか使ってないようだったので、
使用料(4月)
一番安い1日上限110M月額1600円をまずは選択(足りなかったら後で変更しよう)。

新規でもMNPでも価格は変わらない。ただし!

  • 新規:OCN回線が開通してから旧回線を解約すればいい=不通期間がなし
  • MNP:旧回線が停止して、SIMが届くまで数日のラグがある=数日不通になる

なんと、いつ電話がかかってくるかわからないメイン回線の場合には、数日の
不通が発生するMNPが無理。かといって新規にしたところで、新規=番号変更。
番号が変ってしまうので、不通期間がゼロとは言え、新しい番号の周知が進まないと
結局、不通になるリスクがあるという、見えない大きな障壁があった。
これはヒドイ

オレの場合には原則通信用に使ってて通話用の番号は誰にも教えてなかったし、
不通になっても全然困らない。なにより、ドコモショップの窓口に並んで
解約する必要がないということ最大の理由でMNPを選択。
ラーメン屋さん以外では並ばないよ。

申し込みは5月1日中に完了した。
動きがあったのは5月5日。SMSが来て、通信が止まった。不通期間の開始だ。
Screenshot_2015-05-05-10-31-38
Wifiをつかめば通話以外は普通につかえるので、不便はない。

そして5月7日、佐川でSIMが到着。たまたま嫁さんが家にいたタイミング
だったので、タイムリーに受け取れたが、タイミングあわなければ、さらに
不通期間が伸びるという、アナログによってデジタルが阻害されることにw
届いたのはフツーのドコモSIM。
docomo SIM
いや、どこにもNTTコミュニケーションズって書いてない。
確かにドコモ回線のMVNOって明言してるからいいんだけど、
潔すぎないか、これ。

SIMを挿し替えて設定したら、あっけなくLTEで通信開始。
LTE
通話も問題ない。ほんとにあっけない。
(ドコモのMVNOなので、SIMフリー化はしなくてもよかったらしい)
翌日の通勤途中で050plusをインストールしてもろもろ設定。
割引の設定はお客様番号の通知が来てからでないとできない。

残る作業は光回線とセットの登録をして月額200円の割引(OCNモバイル割)を受けることと、
050plusの基本料無料化の登録。

5月9日になってOCNモバイルONEの会員登録証と050plusの案内が届き、
それぞれの「Nで始まる『お客様番号』」(以下N番号)が判明したので、
これを光回線のOCNのマイページで登録する。
image
光のN番号とモバイルONEのN番号を紐付けるという意味かと。
光+SIMの割引で月額200円割引になる。

続いて050plusの月額300円の基本料の無料化。
さっき届いたモバイルONEのN番号でログインして、そっち側で050の支払いを
このN番号といっしょにするという操作をすることによって無料化されるらしい。
端末で何かするわけでも、050側で何かするわけでもなく、OCN側での操作を
する、というのが最初わからず、かなり手間取った。加齢による症状か。

しばらくいろいろ使ってみて再度レポート予定。

(クルマ)「やさしい運転」とは

あらかじめ書いておくけど、ソニー損保さんに恨みも何もなくて、ただ単に、
このデバイスに興味があっただけでなので、自信がある人はぜひチャレンジ
してみるといいと思う。

さて、先週Webで発見したソニー損保さんの「やさしい運転キャッシュバック型」保険の
トライアルを申し込んでみた。
デバイスはすぐに届いた。
SONY2

早速ダッシュボードに装着して連休中の運転をモニタリングしてみた。
合計5時間ほど運転したところで結果が表示され始めた。
SONY損保

モニタリング中、警告音が出て「やさしい運転でない」と判定されたのは3回。
・先行車が急に道路沿いのコンビニに入るために急ブレーキを踏み、それに対応するための急ブレーキ
・国道357でウザいワンボックスをチギるための信号ダッシュ時の急発進
・自宅前のスロープでのバックでの下り坂でのブレーキ操作(誤判定と思うが仕様と思う)

こういうことをすると、警告音が鳴り、「やさしい運転」回数がリセットされる仕組み。
マニュアルには、詳細な採点基準が書かれていないのであくまでも推測ではあるが、
計測しているであろう3秒以上の停止の直前のブレーキ操作の滑らかさと、停止直後の
発信の滑らかさを評価しているように思う。とはいえ、個人的には、特別なめらかに
運転しているわけではないか、警告音を鳴らすようなことは、原則ないかな、と思う。
言い換えれば、よほどぎくしゃくした運転をしていなければ、このデバイスによる
評価は高くなると思う。

現在のスコア71点は、保険料が10%~20%割引になるスコア。
街中で、前方の状況を正確に把握し、合理的に運転すれば、誰でも割引になると思う。

だがしかし(笑)
昨日は品川までの首都高横羽線で行って、帰りは湾岸。今日も都内へ出るにの横羽線で
行って帰り湾岸というルートを通る中でいつもの通りの走りをしたわけだが、
この「やさしい運転」デバイスは何も反応せずw

たとえば、追い越し車線を悠然と100kmで走るハイブリッド車を左から抜くとか、
がら空きの一番左のレーンをバビュンと行くなど、うちの嫁さんから言わせれば、
「おまわりさん、この人です」的な走りをしていたのに、だ。

確かに、無駄に減速しないために、すいてるレーン(というか、前が空いてるレーン)を
選択してるし、左右の揺れは発生しないほどなめらかなステアリングはいつも通り。
無駄に加速もしてないし。

というわけで、このデバイスにGPSがついてて、速度計測されてたら完全にアウトな
わけだが、それはわかんないので、結果をお楽しみに。でも、個人の行き先とか経路が
わかっちゃう(=個人情報)ような情報を取るような冒険はソニー損保としてもしないと
思うんだけどなあ。どうなんだろう。

とはいえ、「お客様のやさしい運転は評価できますが、最高速が問題外です」みたいな
返事来たら、それはそれで楽しいw